『ほほえみ』
〜第一章〜

出会い








詩織は夫紀行の転勤で隣のG県から、このS市にやって来た。
夫の転勤は今回で2度目。
最初の転勤で北海道から、北関東G県のM市に来た時、この、知人も身内も誰一人居ない慣れない土地では、上の子供達が小さい事もあってか、家に引きこもりがちであった。
次の転勤では故郷に帰る事と信じていた詩織は、この2度目の転勤である意味開き直る事にした。
自ら選んだ夫に着いていくのだから、夫が今の仕事を止めない限り、全国各地への転勤は免れないのである。
夫は全国チェーン店を繰り広げている、大手スーパーの社員なのだ。
バブル全盛期も重なって、夫紀行の会社は年に何店舗も出店していた為、夫の会社の社員は全国各地飛ばされていた。
半ば諦めた詩織は、この際だから、長旅でもしてる気分…と、自分に言い聞かせ、今回も着いてきた。

新境地に着くと、生活も変わる、今まで、引きこもりがちな自分を少し変えてみたいと、思った。
元々、明るい性格、何か出来ないかと新しく住みだした町を散策する。
自宅から、300メートルくらい歩いたところに、ファミリーレストランがあった。
ふっ…と、以前住んでいた、隣の家の奥さんの事を思い出した。
彼女は同性の詩織からみても、天然ボケが入っているというくらいのおドジ奥さんだ。
その彼女が近くの焼肉のファミリーレストランで、働き出したと聞いた時には若干驚いた。
案の定、、鉄板を落したり、お味噌汁を客の足に溢したりと、仕事でかなりドジを踏んでいたらしい…
しかし、詩織は、それでもなんとか頑張ってる彼女を見て、ある種の尊敬の念を抱いていたのである。
『あの奥さんにも出来るんだから、私にだって…』
目の前に立つ、ファミリーレストランを見ながら、詩織はこの時、自分でも思い掛けない決心をした。
子供達は、上の長女が3歳、下の長男はまだ、2歳。
帰り道、見つけた、保育園に入所させよう…詩織の中で、これも決まってしまったのである。

そうと決まれば、行動は早い。
早々、市役所に行き、保育園の手続き、ファミリーレストランの募集広告をもらい、すかさず、面接の運びとなる。
外食産業の業界もバブルの絶頂、このファミリーレストランのSも、関東各地に店舗のある大手だ。
詩織は生活の為、自分自身の新しい発見、そして、子供達を早くから集団生活に入れたいと、このSにパートとして働く事が決まった。
そこの店は、開店して、既に6年目である。
ベテランの先輩も何人も居て、久々の社会復帰に緊張と不安の連続。
しかし、どうも、愛想だけは良いようで、店の雰囲気にも、直ぐに慣れ、客の評判も上がっていた。
子供達はというと、3歳の長女は集団生活に直に溶け込んだが、下の子はやはり、少し早いのか、なかなかなじめず、保母も苦労したらしい。
しかし、子供の事、自分の状況が幼いながらに理解したのか、2ヶ月もすると、朝の別れの時には、自分から
「ママ、いってらっしゃい」
と手を振るようになっていた。


常連の顔も覚え、昼間のランチタイムの忙しさにも、付いていけるようになり、今まで感じたことの無い、自分自身の充実感があった。
子育てが嫌いな訳ではない、もちろん子供に対しての愛情は以前と変わらない。
ただ、自分が子育てに追われる毎日から、自分の時間が欲しいと思っていた。
それは、逃げるとかじゃなく、子供に纏わりつかれない時間…
詩織にとって、それが、Sでの仕事の時間だったのかも知れない。
毎日がとても早く過ぎる
毎日がとても充実している。
毎日が昔と違う色に変わっている。
季節が夏を迎えると同時に詩織はそのファミリ−レストランSに染まっていった。



Sで働いて、既に8ヶ月が過ぎた。
年の瀬も迫る、12月の初めのことである。
忘年会の話が出始めて、いつの間にか、詩織が幹事ということになっていた。
Sの営業時間は午前2時迄、忘年会と言えども、閉店してから、皆を集める訳にはいかない。
詩織は社員の田中に相談した。
場所は任せるという事、時間は昼間のパートの主婦に合わせても構わないとの事だった。
要するに、その他の夜仕事に入ってる者は仕事が終り次第、2次会の席から顔を出してくれるという事になった。

当日は昼間のパートさんが結局3人しか集まらず、3人で居酒屋で雑談をしていた。
忘年会とはほど遠い雰囲気であったが、詩織は久々に夜遊びに出れたという事だけで、楽しかった。
2次会はカラオケスナックで、3人で飲んでいた。
気分的には盛り上がって、カラオケでも歌いたいほど上機嫌の詩織だが、二人の先輩を差し置いて、歌うのも気が引ける、結局、おしゃべりに花を咲かせたいた。
暫くして、やっと相談をしていた社員の田中が一人の男の子を連れて現れた。
田中はモチロン知っているが、もうひとりの男の子は初めて見る顔である。
男の子と言っても、雰囲気は大学生っぽい。
笑うと無くなる目が第一印象として、強く詩織の中に残った。

「遅くなりまして、スミマセン」
田中とその男の子は慌てた様子で向かいのソファに座った。
「もう、来ないのかと思ったよ」
詩織達もやっと、現れた二人を笑いながら、迎える。
「田中さん、あのォ…見たことない…んだけど」
二人が座ると同時に詩織は男の子の方を見る。
「あ、あれ?知らないっけ?」
「うん」
詩織はニコニコ笑ってる向かいの男の子を見ながら、返事をした。
「荻島君よ」
隣の先輩が名前を教えてくれた。
「ぁ…そうなんだ」
「そういえば、荻島君は夜とか、深夜に入ってるからね、昼間は入ってないもんね」
田中が荻島に向かって頷いていた。
「荻島です、僕は知ってますよ、熊谷さんでしょ?」
荻島は相変わらず、ニコニコとしている。
「そう…あ、私の事は知ってるんだ…な〜んだ、でも、不思議だね、同じ店で働いているのに、半年以上も私は知らないなんて!って、もしかして、新人さん?」
そう言った途端、回りから大きな笑いが溢れ出す。
えっ?と回りを見て、荻島を見ると、今度は苦笑していた。
「あはは…荻島君は高校一年の時から、働いてる超ベテランさんよ」
隣の先輩が笑いながら、また教えてくれた。
「えっ〜、高校、一年の時から…って、今いくつ?」
詩織はまさかという目で荻島を見る。
「21です、大学3年」
荻島が答える。
「まぁ!そうなんだ!それは失礼しましたぁ〜」
「いえ、どういたしまして」
皆がケラケラと笑い出す。
和やかな雰囲気の中で、5人はあらためて乾杯をした。


「お兄さん、デュエットしよう!」
いつの間にか、酔いに任せて、というか完璧に酔ったおばさんになっている詩織が荻島をデュエットを誘った。
「あ…はい、歌いましょう…」
年上の酔っ払いおばさんには断れない…苦笑いをしながら、荻島は詩織の手を引いた。

この時、まさかこの荻島が詩織の人生を惑わし、狂わせる相手になるなど詩織は気が付きもしない…
もちろん、詩織に振り回せれるなどと、荻島自身も全く予期していなかった。
スナックのほぼ中央にあるマイクの置かれた、小さなステージに、この時初めて会った二人は手を繋いで向かった。

ーー熊谷詩織、27歳の冬の事である。









2004・5・27




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